内藤
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現在、北海道在住で日頃お話を聞けない佐々木さん、通称レオさんに、今日は色々とお話をお聞きしたいと思います。レオさんのこれまであまり知られていないエピソードもお聞きしたいので宜しくお願いします (笑)。
そもそも道産子のレオさんですが、小さい頃はどんなお子さんだったんでしょうか。
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佐々木
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男の子ばっかり後ろに10人くらい引き連れて歩いている様な子でした(笑)。そうやって山に行ってザリガニ獲ったり。
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内藤
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10人(笑)。やっぱり男まさりだったんですか。
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佐々木
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家では女の子とおままごと遊びとかしてるんですけど、外では男まさりでしたね。
姉が中学生だった頃に、中学の裏にいつものように男の子引き連れてザリガニ獲りに行ってたら中学生達がその様子を校舎から見ていて「誰だあれ。佐々木の妹じゃないか」って姉がからかわれたらしくて、後で姉に「ああいうこと止めてよね」って怒られたりしてました。
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内藤
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なかなかのガキ大将ぶりですね。小さい頃から体は大きかったですか。
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佐々木
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そうですね。私も兄弟もみんな4000グラムオーバーで生まれてますから。
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内藤
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お母さんが大変ですね(笑)。
そしてその体格を生かしてバレーを始められて、2013年のパイオニアでの黒鷲旗まで国内で活躍され、トルコリーグに挑戦されるんですよね。
その前後のお話はあまりされていないと思うんですが、お話いただけますか。
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佐々木
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そうですねぇ。トルコが親日国とはいえ、一言で言って過酷な環境でしたね。
基本的に会話はトルコ語オンリーで言葉も通じないし、けど意味は分からなくても文句言われてる事はわかるっていうような毎日でした。
私ともう何人かトルコ人以外の子がいたんですけど、外国人同士で二人で練習させられたりして完全に外人扱い、別枠扱いっていう感じでした。
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内藤
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それじゃあチームに溶け込むどころの話じゃないですね。
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佐々木
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単身で渡ったんですけど、とても田舎の町のチームだったので、私以外に日本人が一人も居なくて。
手違いがあったのか、アパートを借りて貰うはずがずっとホテル暮らしのままでお給料もないし、毎日泣いてました(笑)。
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内藤
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それは確かに過酷ですね。チーム環境も生活環境も。
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佐々木
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このままじゃ病気になるなと思ってた頃に、外国人が殆ど一度に解雇されて、私も結局2カ月半くらいで退団したんですけど、毎日泣いてたなんて既に病んでのかも知れないですね(笑)。
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内藤
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そんな状況だったとは。
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佐々木
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帰国する時も自分で空港まで行かなきゃならないんですけど、田舎なので空港まで車で2時間以上かかるんですね。それで、ずっと滞在していた先のホテルマンが日本に興味のある人で、それまでも色々話かけてくれていたんですけど、その人にお金を払ってお願いして空港まで送って貰って。ドバイ経由で帰国しました(笑)。
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内藤
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夢に向かって異国の地に渡ったのに。その環境はちょっと病んじゃいますよね。
そんな状況から帰国されて、それからはどうなさっていたんですか。
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佐々木
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戻ってきて日本で現役を続けたいって思いもあったんですけど、それも難しいなという感じで。
地元に帰ってご縁のあった保育園のお手伝いをさせて貰っている頃に、たまたま中学時代の男子を指導していた先生に会って「いま何してんだ」って言われて。これこれこうですって説明したら「大谷室蘭高校のバレー部の手伝いしないか」って誘われて。
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内藤
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その方にたまたま会ったんですか。
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佐々木
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散歩してたら偶然。それから大谷室蘭でコーチさせて貰っています。
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内藤
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それはまた運命的な。ご縁があったんですねぇ。
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佐々木
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保育園も楽しかったんですけどね。子供達がめちゃめちゃ可愛くて。お遊戯で踊ったりするのは恥ずかしかったですけど(笑)。
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